伊東宣明『フィクション / 人生で一番美しい』

2018年9月15日(土)- 10月14日(日)
オープニングレセプション:9月15日(土)18:00-20:00

・会期中は、水・木・金・土 12-19時、日 12-17時のオープンとなります。(定休日:月火祝)
・本展のオープニングレセプションを、初日の9月15日(土)に開催します。作家も在廊いたします。なお、レセプション前の時間帯も、通常通り12時からギャラリーはオープンいたします。
展示風景
作品
フィクション
2018
シングルチャンネルビデオ, サウンド, 12分27秒
ビデオスチル
人生で一番美しい
2018
シングルチャンネルビデオ, サウンド, 8分
ビデオスチル
プレスリリース
PDF

WAITINGROOM(東京)では、2018年9月15日(土)から10月14日(日)まで、伊東宣明の個展『フィクション / 人生で一番美しい』を開催いたします。伊東は、「身体」「生/死」「精神」といった生きるうえで避ける事のできない根源的なテーマを追求し、映像やインスタレーション作品を発表しているアーティストです。また、「フィクション」に対する独自の制作論を展開しており、フィクション・ノンフィクション・メタフィクションが交錯する手法を多く用いるのが特徴的です。当ギャラリーでは2年ぶり2度目の個展となる本展では、自身の博士論文で提言した独自の制作論「フィクションの融解」「フィクションによる割れ」を基に作られる、「フィクション」のためのロードムービーを最新作として発表します。また、20歳前後の男女約20名がカメラを前に、一様に同じようにレオナルド・ダ・ヴィンチのモナ・リザのポーズをとり、「今、私は人生で一番美しい」と1000年後の鑑賞者に向けて宣言する映像『人生で一番美しい』を、複数のモニターやタブレットに映し出すインスタレーション形式であわせて展示いたします。


(左)個展『人生で一番美しい』2018年、展覧会風景(同志社女子大学ギャラリー / 京都)
(右)個展『アートと芸術家』2016年、展覧会風景(WAITINGROOM / 東京)撮影:松尾宇人

作家・伊東宣明について

1981年奈良県生まれ、京都在住。2006年に京都造形芸術大学・映像舞台芸術学科・映像芸術コースを卒業、2016年に京都市立芸術大学大学院・美術研究科博士後期課程修了、博士(美術)学位を取得。近年の主な展覧会に、個展『人生で一番美しい』(同志社女子大学ギャラリー、京都、2018年)、グループ展『CANCER THE MECHANISM OF RESEMBLING』(EUKARYOTE、東京、2018年)、個展『アートと芸術家』(WAITINGROOM、東京、2016年)、グループ展『S-HOUSEミュージアム開館記念展』(S-HOUSEミュージアム、岡山、2016年より)、個展『アート』(愛知県美術館 APMoA Project ARCH、名古屋、2015年)、グループ展『GRAVEDAD CERO』(Matadero Madrid、マドリード・スペイン、2015年)、『牛窓・亜細亜藝術交流祭 – 瀬戸内市美術館』(牛窓シーサイドホール、岡山、2014年)、グループ展『Me’tis -戦う美術-』(京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA、京都、2012年)、グループ展『レゾナンス 共鳴 人と響き合うアート』(サントリーミュージアム、大阪、2010年)など国内外多数。

作家ステートメント

「現実」と「フィクション」は二項対立的な概念ではない。現実という素材を元に常に「フィクション」が作られる。「フィクションの融解」とは、基盤となるフィクションに違う形式のフィクションが入ると、それらのフィクションの形式の判別が困難になる事を指す。「フィクションによる割れ」とは、「フィクションの融解」によって場合により発生、表現メディアを超えて、フィクションが現実に流れだしてくる事を指す。その際、フィクションの現実世界への流入が発生する。「フィクションによる割れ」が発生した際、コップから漏れた水に手が触れる事と同様に、観客は驚き、笑い、怒り、恐怖、感動、不快、苛立等、同じ作品にでも、観客にとって様々な強い感情を起こす。それはそれまでのストーリーが生み出していた感情と同様の場合もあり、別種の場合もある。しかし、共通しているのはそれらが「強い」感情だという事である。「フィクションによる割れ」が起きた「フィクション」は、厳密には「フィクション」ではないものとなる。かつて「フィクション」だったものは、直視が難しく、直接抱えて生きる事が出来ない異形のものへと変化し、世に放たれるのである。
伊東宣明

それを「フィクション」とし、そして壊す

伊東が2016年に京都市立芸術大学大学院美術研究科 メディア・アート専攻(博士後期課程)修了時に発表した博士論文は、自身の処女作から今に至るまで多く使用されてきた手法に「フィクションの融解」と「フィクションによる割れ」という名前をつけ、表現メディアとしては映画を例に論じ、最終的には自身の今までの作品を軸に実証を行うというものでした。その最終章では、自身が大学院修了後に何年か正社員として勤務した葬儀会社での経験が綴られており、私たちが死を「死」として受け入れるために、死を「フィクション」化するための儀式が葬儀なのではないか、という仮定をしています。伊東がなぜ「フィクション」にこだわるのか。それは、「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」といった近代以降の美術家として、あるいは人間として普遍的であり根源的ともいえる関心事から発している、と伊東は言います。この世に生を受け、そして死を迎えるまで、私たちは生きていく中で一体何を感じ、何を目的に、どこに向かっていこうとしているのか、その問いを伊東は「フィクション」というフレームに一度当てはめ、そして壊すことによって、観客自身に強く実感させることを作品を通して行っているのです。
作家として今まで考え体現してきたことを、一つの論考としてまとめたのが自身の博士論文であり、その中で実証した内容をさらに映像作品として再度立ち上がらせるという意欲作が、本展で発表される新作映像『フィクション』です。そして、相互に共鳴する作品として、『フィクション』で用いられる理論で作られている『人生で一番美しい』を同時展示いたします。一つの空間で存分に発揮される伊東ワールドを、ぜひご高覧下さい。


(左)『アート(スペインVer.)』2015年、シングルチャンネルビデオ、サウンド、10min.5sec.
(右)『生きている/生きていない(2014.8/牛窓)』2014年、シングルチャンネルビデオ、サウンド、9min.32sec.

アーティスト
伊東宣明
Nobuaki ITOH