WAITINGROOM(東京)では、2019年5月11日(土)から6月9日(日)まで、水木塁の個展『東下り』を開催いたします。水木はこれまでスケートボーダーとしての身体感覚をもとに都市と身体との関わりについて作品を制作してきました。水木の作品は、スケートボードの表面に貼るデッキテープや道路用の塗料を使用したペインティング作品、湾曲したアルミ板に写真を焼き付けた作品、つぶしたスニーカーの箱に油性ペンで描いたドローイング作品など、写真や平面、立体といった既存の表現方法を解体・再編しながら作られています。これは、スケートボーディングを通して見る都市のシステムを、同化と異化を繰り返しながら探求する水木ならではの表現方法と言えるでしょう。本展は、水木の制作拠点である京都とWAITINGROOMの拠点である東京という地理関係、自身の制作プロセスとも類似することから由来する『伊勢物語』の第九段である『東下り』をタイトルに用い、すべて新作での発表となります。水木独自の身体感覚から見る都市へのアプローチをぜひご高覧ください。
左:「C’s」展覧会風景、RMIT PROJECT SPACE(メルボルン)2017年
右:「鏡と穴-彫刻と写真の界面 vol.3 水木塁」展覧会風、gallery αM(東京)2017年
作家・水木塁について
1983年京都府生まれ、京都在住。2006年に京都市立芸術大学・美術学部工芸科・漆工専攻を卒業、2016年に京都市立芸術大学大学院・美術研究科博士後期課程修了、博士(美術)学位を取得。主な展覧会に、グループ展『行為の編纂』(TOKAS本郷、東京、2018年)、個展『都市のモザイク』(ARTZONE、京都、2018年)、個展『C’s』(RMIT PROJECT SPACE、メルボルン、2017年)、個展『鏡と穴-彫刻と写真の界面 vol.3 水木塁』(gallery αM、東京、2017年)、『NEO-EDEN』(蘇州金鶏湖美術館、蘇州、2016年)、グループ展『STEP OUT! New Japanese Photographers』(IMA gallery、東京、2015年)、PARASOPHIA: 京都国際現代芸術祭 特別連携プログラム『still moving』(元崇仁小学校、京都、2015 年)、グループ展『NIPPON NOW Junge japanische Kunst und das Rheinland』(E.ON、デュッセルドルフ、2014年)、二人展『flowing urbanity』(ART68、ケルン、2013年)、グループ展『水の情景-モネ・大観から現代まで』(横浜美術館、神奈川、2007年)など 国内外多数。
左:《Pool #そら豆04》2016年、パネルにデッキテープ、チョーク、1000 x 803mm
右:《Untitled》2017年、パネルにデッキテープ、チョーク、1450 x 1450mm
アーティスト・ステイトメント
“近代以降の都市環境下では中央集権的システムの中、人も経済も資源も暴力的なまでの循環と合理化が推進され、それに伴って人々の行動様式もある程度慣習化されてきました。一方、郊外はそういった都市の外部として位置付けられているためか、街と関わりあう際、意味的にも空間的にも余白があり、そこに人を積極的にさせる何かがあるように思います。
本展のタイトルは『伊勢物語』の九段『東下り』に由来しています。それは僕の制作拠点である京都と今回展示するギャラリーのある東京という二つの地理関係を念頭にしているだけではありません。都(つまり中央集権的な環境)から離れ、その外部で創作の対象と出会っていく(在原業平がモデルとされる)「ある男」の旅情に対し、新作の制作プロセスと似たものを感じたことに大きな契機があります。
これまで僕は都市部の中にある人々の営為や環境そのものに着想を得てきましたが、今回は都市から郊外へと抜ける際、目にした幾つかの社会的風景をモチーフに展開をしています。例えば、それは配管工事の現場で切り出されたアスファルトの地面と生々しい大地の関係、荒れた公園のシーソーに置かれた牛乳パック、田んぼ横のコンビニに溜まる高校生たち、川に隣接する水門に書かれたダサいグラフィティ、橋脚下の刺々しい鳥避けに座るハトのつがい等々です。都市の外に出ようとした意識の変化は、単純に僕自身が郊外に引越しをしたからかもしれませんが、そこでの人や動植物の振る舞いと目前の光景を照らし合わせた時、何か別の心理的環境が頭の中を過ったからに他なりません。
本展はそこで得たイメージを解体/再編することで、一度、空間と造形の問題に置き換え、美術鑑賞という行為を通して、制度の枠組み、文化的差異と同化の探求を試みています。その際、拠り所としたのは「都市部に見られる合理的美学」と「郊外の風景に関係した表現主義的美学」の間を行き来する身体、つまり歩行ないし散歩の感覚、眼と足の裏の複合的感覚から立ち上がった風景と言えそうです。
水木塁
スケートボーダーとしての身体感覚に基づき、都市と身体の関わりについて作品制作を行なってきた水木の本展における新作群は、都市の外側にある郊外へ意識を展開させ制作されています。本展のタイトルは、自身の制作拠点・京都と展示場所である東京という地理関係のほか、都市から郊外へ向かう道中で発見した風景をモチーフへ展開していく今回の制作プロセスを、京の都から東国へ向かう旅路で見つけた事物を和歌に詠み込む『東下り』の物語と重ね合わせて名付けられました。
スケートボードの表面に用いられるざらざらした素材のデッキテープや、私たちが日頃目にしている道路用の塗料を用いて描かれた大型のペインティング作品では、その所々に意図的に付けられたひび割れや、踏みつけられたようなチューイングガムを見つけることができます。スニーカーの箱をつぶし、平面となったそれに油性ペンで半ば即興的に描かれたドローイング作品にも見られるように、水木の作品はどれも、写真や平面、立体といった既存の表現方法を解体・再編して制作されていると言えます。
日々踏みしめている路面は垂直の壁面へ立ち上がり、スニーカーを収めるための立方体は面となり、写真が焼き付けられたアルミ板はこちら側に湾曲し、鑑賞者の眼前に現れます。
作品鑑賞を生身の身体による行為と捉え直し、その現場性や、鑑賞経験によって改めて意識されたり、変化したりする身体感覚に興味があると水木は言います。スケートボーダーがハーフパイプの両端を往復するかのように、平面と立体、都市と郊外、メインカルチャーとサブカルチャーといった現代社会に様々に存在する両極を行き来する水木の作品群を目にするとき、鑑賞者は、そういった両極の間にあるなめらかな繋がりを意識することになります。それらはこの社会においてばらばらにあるのではなく、都から東国への旅路のように、地続きに存在しているのです。
空間や社会の捉え方という鑑賞者の身体感覚をも揺らがすような水木の新作群に、是非ご期待ください。